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メールの内容でテニス選手の実力が解る!?

インターネットは、既に生活に必要なもの・・・今回の震災でも、その重要性が謳われています。私個人としては、何年も同じようなことを投稿記事にしていますが、再度、「日本テニス界」は、ネット利用という部分において、悲劇的に発展途上です。

20110410_first_email以前、「ITF Junior」のエントリーをネットで済ませたのですが、日本テニス協会から「会費が支払われていないので、エントリーできません」と主張されたことがありました。そんなことは無いんです!ネット上には、支払済み、となっていますから。どうやら、日本テニス協会への登録名と ITF への登録名が違っていたため、日本テニス協会が認識できなかったのが原因だと解りましたが・・・つまり、ITF のシステムは、日本テニス協会のシステムとは完全に切り離されているし、また、独立していて、ITF の登録を知る余地も無い、といったところでしょうか。

更に、日本テニス協会から、「日本の登録名をローマ字表記で ITF も登録して下さい。ITF の方の変更をして頂かないと今後、日本の大会にエントリーできません・・・」とまるで脅しのようなコメントでした。我が娘、実は、日本名とアメリカ名があり、ITF は、アメリカ名での登録にしていたんですよね・・・それでも、苗字で解るだろうに・・・

登録変更は・・・当然、日本テニス協会が実施してくれるはずも無く、「ITF のイギリス本部へ手紙を書いて下さい」とのこと。これにはビックリ!修正までには、数週間かかるというのです。「このネット時代、そんなはずがあるはずが無い!」と思い立って、私、ITF 宛に電子メールで登録名の変更依頼をしたのですが・・・何と!メール送信後、3時間も経たないうちに「変更完了しました」とのメールを着信。これが決定的に日本テニスをネットに関する発展途上と叫ぶ理由です。

ちょっと前置きが長くなりましたが、常日頃から、「メールの返信が遅い連中は、仕事もできない・・・」と若いコンサルタントには主張していて、数時間で返信があり、休日でもメールに応答があるようになるまで数年掛かりましたが、それでも、この「メールすら返信が遅い連中」に関しての考え方は変わっていません。すると・・・

出ました!まったく同様のことを投稿記事で公開されているコーチが!濱浦コーチです。もう嬉しいですね~これで、私の勝手な考え方ではなさそうです。また、引用させて頂きましょう。その投稿記事は、「濱浦貴光 公式ブログ::レスポンス・・・」です。

本格的なシーズンインを控えて、先週辺りから選手、親、コーチ、エージェント、各国協会・・・ゴチャゴチャとメールが飛び交っています。(中略)選手も大概において世界のトップ選手程、レスが早くて短い文章でも必要な情報(こちらが求めている)を充分に与えてくれます。

もう、上記の記述だけでも十分です!メールのレスポンス(返信の早さ)や内容によって、選手の実力が解ってしまう、といっていると思われます。投稿記事は、更に続きます。

ボールを打つのは上手いのに今ひとつ成績が上がらない選手の中には、レスもコンスタントではなく内容も一方通行であるケースが多いです。コーチも同じです。やはり良い仕事をしていると感じるコーチはやはりマメですし、早く正確な情報を与えてくれます。

私ですら、ここまで断言したことはありませんが、テニスのコーチが、ここまで言うのですから間違いは無いのでしょう。私の部下であるコンサルタントも同様のことが言える。だらだらと長いメールほど趣旨が無かったり、レスポンスが遅いコンサルタントは、仕事も遅い。上記の投稿記事は、まだまだ続きますよ。

ネットに頼ったコミニュケーションの賛否はありますが、世界を舞台(地理的、時差の問題)に戦う選手やコーチにとっては、インターネットを利用したコミニュケーションは必須です。

(中略)

この一見テニスとは全く関係のない、レスポンスのスピードにおいて日本のテニス界と世界のテニス界では大きな差がある事は間違い無いと私の経験上からは断言出来ます。今のレスのテンポでは計画性もへったくれも無いだろう。(もちろん全員が・・・とは言いませんよ。重要性に気がついてる人もいると思います)

もうわくわくしますね!私だけではない・・・私もコンサルタントという職業柄、世界を舞台にしていますが、海外へいくととたんに連絡してこないコンサルタントいる。「海外なんで・・・」とまったく理解不能な説明。テニスも同様でしょう。特に、国から国へ移動しなければならないテニスプレーヤやコーチにとって、コミュニケーションの生命線であるはずです、ネットは。使いこなせていなければ論外です。

当然、ウェブへアクセスできることが最低条件ですが、メールですら濱浦コーチが指摘しているように、「メールのレスポンスや内容で選手の実力が解る」ともいえるでしょうね・・・

日本人プレーヤが世界で戦うための必須事項と攻める勇気・・・

千葉県は、既に「千葉県ジュニアテニス大会」の日程が発表になりました。多分、ほとんどのジュニアが、この大会を目指して日夜練習に励んでいると思われますが、我が娘も毎年この大会を最重要視しています。いわずと知れた関東大会、全国大会へと続く大会で、今年で娘にとっては、最後のチャンスとなりました(ジュニアの大会としては、本当にこれが最後になります)。

ところで、1月4日に公開された投稿記事、「濱浦貴光 公式ブログ::好球必打・・・」は、素晴らしい内容です。ちょっと気になっている部分を引用しておきます。

男子14歳以下辺りを続けてスカウトしていると、近年の一つの傾向としてこの年代で既にビッグサーブ&ガンガン打ちまくるストロークの持ち主が、そのままシニアでも強くなるケースは殆ど無い事に気がついてきます。

これは、男子に限らず、女子も同じだろうと想像できます。上記のように、ビックサーブでガンガン打ちまくって勝利を重ねると、そうしたテニススタイルを変えることも怖くなってしまいますよね、きっと。全面的に合意できる内容、と感じています。重要な内容は、更に続きます。

自分よりもフィジカルで勝る相手と闘う際のプレーの幅が、ツアー入り後の難しい時期をクリアーして行く上で重要になってくると考えます。(ジュニア時代にパワーに頼る選手はこの期間に苦しみやすいです)

日本人の場合、ほとんどの選手が世界とフィジカルな面で劣勢です。これは、解決策が無い宿命と考えた方がいいと感じています。特に、パワーでは、どんなに頑張っても、日本人が海外に追い付けることはほとんど無い、と考えて良いでしょう。ただ、そうした日本人に勝機が無いわけでありません。それを濱浦氏も指摘しています。

いかにカウンター主体のテニスであっても、ここぞ!という場面では、迷わず攻める勇気とチャンスを見逃さないセンスを持っている事も将来強くなる選手の絶対条件です。(14歳位でプレーに現れる。それより低年齢の場合は、ただの怖いもの知らずの場合有り)

(中略)

絶対的にミスが少ない事、相手にミスをさせるべくプレーに変化を付ける事(ミスを待つでは無い)、前述の通り攻める勇気とチャンスを見逃さない事は絶対必要です。

身に染みますね~海外在住で、海外から日本を眺めている日本人コーチの言葉ですから・・・以前、娘の担当コーチから、「元々、打てるのに打たない感じがありましたので、打てない訳ではありません。打つ勇気がないだけ」と指摘され、その解決方法として、更なる練習が必要との指摘を受けたことがありますが、更に試合をもっと経験すること・・・との指摘も受けています。

重要な試合まで残り僅か・・・「攻める勇気」が娘に備わることを期待して・・・

茂木健一郎氏の「「典型的な日本人」

茂木健一郎氏の「連ツイ」というのは、本当に面白い!全てを転載することはできませんが、いくつかの「連ツイ」は引用して、自分の記憶に留めておきたい・・・先日の「典型的な日本人」に関する「連ツイ」もいろいろなことを考えさせられました。

日本人としてのテニス、日本のテニスと言ったことにこだわっている私ですから、「日本人」に関する内容は、やっぱり気になるわけです。

  • 典型(1) ツイッター上のやりとりで、「医者などの信用されるべき職業は黒髪であるのが当たり前」とか、「日本人なのだから、髪の毛は黒くて当然」などという人たちがいるのを見て、本当に愕然とした。「均質性」を暗黙のうちに前提として疑わない。病は深いと感じた。
  • 典型(2) 「典型的な日本人」として、髪の毛が黒くて、皮膚が「肌色」の人を思い浮かべる。「基本」としてはそれで良いとして、そのようなイメージを他人に押しつけることが、いかに抑圧的なことか、気付かずにいる人がいるとは、真に衝撃的なことである。
  • 典型(3) 20歳を過ぎた頃、「日米学生会議」でアメリカを訪れた。日本側は、事前に会合を重ねて入念に準備をしたが、アメリカ側は国土が広く、当時はインターネットもなかったため、会議開始の前日にしか会えなかったらしい。
  • 典型(4) ところが、初日の夜のお互いの「演し物」で、入念に準備したはずの日本側よりも、即興に近い形でやったアメリカ側の方が、見ていて面白かった。アメリカ人の瞬発力と、エンターティンメントに関する感性を思い知らされた。
  • 典型(5) 日米学生会議の初日の夜の演し物で、今でも記憶に残っているのが、「典型的なアメリカ人」(Typical American)である。
  • 典型(6) 一人ひとりが自己紹介する。そして、最後に、「私は典型的なアメリカ人です」(I am a typical American)という一言をつけて終わる。
  • 典型(7) 「私の父はフランスから来て、私の母はロシアから来ました。二人はニューヨークで恋に落ち、結婚しました。私は典型的なアメリカ人です。」
  • 典型(8) 「私の祖先は、イタリアから来て、ずっとシカゴに住んでいました。父の代になって、フロリダに移住し、そこで韓国から来た留学生だった母と知り合いました。私は典型的なアメリカ人です。」
  • 典型(9) 「私の父方の祖父と祖母は、いっしょにドイツから移民して来ました。母方の両親は、ロシアから来たユダヤ人です。私は典型的なアメリカ人です。」
  • 典型(10) 私の両親の祖先は、どちらも、アフリカから連れて来られた奴隷でした。解放されて、努力し、弁護士がたくさん輩出する家系になりました。私は典型的なアメリカ人です。
  • 典型(11) 私の祖先は、1800年初頭にアイルランドから移民してきて、それ以来ずっとニューイングランドに住んでいました。私は典型的なアメリカ人です。
  • 典型(12) めくるめくような多様なバックグランドを語り、その後で、「私は典型的なアメリカ人です」と付け加える。アメリカ社会の多様性と、誰もが「典型的なアメリカ人です」と認め合う大らかさ。アメリカという国の魅力を強烈に印象付ける演し物だった。
  • 典型(13) それに比べて、日本人はどうか。日本人は均質であるという思い込みが、少数派に対して抑圧的に働くだけでなく、グローバル化する世界において、日本の競争力を奪う、意味のない制約になっている。
  • 典型(14) グローバル化の流れは必至である。「私は典型的な日本人です」という言葉を、多様な意味でとらえる。そんなことができる時代が、すぐそこに来ている。
  • 典型(15) 「私の母は、熊本から東京に出てきました。父は、北海道から大阪に働きに出て、旅先の東京で母と知り合いました。私は典型的な日本人です。」
  • 典型(16) 「私の祖先は、朝鮮半島から日本にやってきた職人でした。京都の近くに住んでいて、代々細工ものを作っていました。私は典型的な日本人です。」
  • 典型(17) 私の両親は、ベトナムから難民としてやってきて、日本に住み、苦労して働いて、地域社会に溶け込みました。私は典型的な日本人です。
  • 典型(18) 私の父は、マンガに惹かれてフランスから東京に来て、秋葉原で母と知り合って結婚しました。私の父方の祖父、祖母は、リヨンで精肉店を営んでいます。私は典型的な日本人です。
  • 典型(19) 「私は典型的な日本人です」という言葉を、多様な意味でとらえることができるようになってこそ初めて、日本はグローバル化する21世紀にふさわしい活気あふれる国になるのだろう。

どうでしょう・・・日本を考える上で、やっぱり上記のような内容は理解していた方がいいでしょう?

10代の日本人プロアスリート達への心配事とは・・・

今や「Twitter」にはまってしまっている今日この頃。とにかくその情報量の多さにビックリしています。ブログの世界よりも、ひょっとしたら有益な情報が流れていくことがあります。そんな「Twitter」で流れてきたブログの投稿記事、「岩佐徹のOFF-MIKE::「若きアスリートたちの危うさ~先見の明ということ?」」を発見しました。

ちょっと気になった部分を引用しておきましょう。

錦織圭、石川遼…日本を飛び出して、世界を舞台に戦う10代のアスリートが増えてきたのはその種目に対する注目度も上がるし、喜ばしいことです。しかし、体も精神面も十分に出来ていない彼らに国民が勝手に盛り上がってしまう一方で、“悩ましい”部分もあるのです。

こわいのは、本人の意志に関係なく人気者になって、大きな期待を背負わされていくと、そのうち、自分の都合だけでは動けないほど、さまざまなcommitment(=“約束事”)でがんじがらめになってしまうことです。契約で選手に課せられる義務のことですが、日本人の場合は、法律的にはその中に含まれない“義理・人情”が選手の行動に微妙な影響を与えるのです。

外国人なら、故障が発生したら、割り切って「ダメなものはダメ」と断るケースでも、日本人の場合は「スポンサーに申し訳ない」、「今、せっかく調子がいいのだから」と考えて、少々無理をしてでも出場してしまう…そういう“メンタリティー”が邪魔をすることがあると聞きます。ありがちなことですが、それによって、選手寿命を縮めてしまった話はたくさんあります。

若くしてプロ選手になることは、素晴らしいことだと思いますが、やはり上記のような内容は、選手本人ばかりではなく、周囲の関係者もしっかりと自覚しておく必要があるのでしょうね!

日本テニスを語るため、司馬遼太郎を読むこと!?

日本のテニスにこだわっている私ですが、その前に、まずは「日本とは」に関しての知識をしっかりと身につけないと・・・と考えています(馬鹿かも・・・)。日本を知らずして「日本のテニス」を語れない、なんて変な偏見があるものですから。

それにしてもあまりにも「日本」を知らないな、と感じている今日この頃で、あっちこっちで「日本とは」を知るための書籍を探しています。で、いつものように内田樹氏のブログから。どうやら、司馬遼太郎や吉本隆明は知らなければいけない!?

ある国の文化的作物のうち、「その国固有」のものであるかどうかを判定する基準は「国外に愛好者を持たない」ということではないかと私は思っている。例えば、司馬遼太郎は日本の「国民作家」であり、吉本隆明は日本の「国民思想家」である。ご異論のある方はおられぬであろう。

その司馬遼太郎は英語訳が三点しかない。「最後の将軍」と「韃靼疾風録」と「空海の風景」だけ。「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も「燃えよ剣」も「街道をゆく」も翻訳がないのである。日本人の心性と価値観と美意識をみごとに描いたこれらの文章に非日本人はまったく関心を示さないのである。

吉本隆明が戦後日本思想を「知る」上で必須の文献であることに異論のある人はいないであろう。その吉本隆明の著作は外国語訳が一つもない。「擬制の終焉」も「自立の思想的拠点」も「共同幻想論」も「言語にとって美とは何か」もどれも外国語に訳されていないのである(加藤典洋さんに聴いた話では『共同幻想論』は以前フランス語訳が存在したそうであるが、いまは絶版)。

海外旅行の間に、ふっと「司馬遼太郎が読みたい」とか「藤沢周平が読みたい」とか「吉行淳之介が読みたい」とか「島尾敏雄が読みたい」思うことだってあると思うけれど(ないかな)、現地の本屋にはないのである。

でも、村上春樹はある。たくさん並んでいる。司馬遼太郎と村上春樹はどこが違うのか。
もしかすると、「対抗文化」だけが世界性を持ちうるということなのであろうか。

引用:「内田樹の研究室::ヒップホップと司馬遼太郎と村上春樹」より

実は、司馬遼太郎を私は読んだことがない・・・「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も「燃えよ剣」も「街道をゆく」も読んだことがないのです。どうやら「非日本人」なのかな・・・周囲の人は、「あなたは日本人離れしている・・・」を私を評価するのも解るような気がする・・・

下記、内田樹氏のブログから、上記と似たような内容の投稿記事を引用しておきます。

司馬遼太郎の外国語訳を読むことはきわめて困難である。Amazonで現在入手できる英訳は3点しかない(「最後の将軍」、「韃靻疾風録」、「空海の風景」)。「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も「世に棲む日々」も「燃えよ剣」も外国語では読めないのである。

意外でしょ。

外国の学者が日本的心性について知りたいと思ったら、司馬遼太郎を読むのが捷径だと私は思うが、その道は閉ざされているわけである(むろん、藤沢周平や池波正太郎も英語訳は存在しない。ついでに言えば、吉行淳之介も島尾敏雄も安岡章太郎も小島信夫も英語では読めない)埴谷雄高も谷川雁も平岡正明も村上一郎も吉本隆明も英訳はない。

この選択的な「不翻訳」は何を意味するのか。とりあえず「日本の50-60代のおじさんたちの胸にキュンと来る本」は外国語に翻訳されにくい、ということは言えるであろう。

引用:「内田樹の研究室::おじさんの胸にキュンと来る」より

やっぱり「竜馬がゆく」位は読んでおかなければ・・・と思い立って現在読書中!これが想像以上に面白くてビックリ・・・これまで読まなかったことをちょっとだけ後悔し始めました・・・

日本人が失ったもの

先日の投稿記事「日本人論を語るために必要な書籍20冊」に引き続き、「日本論」に関して以前他のブログで公開した投稿記事をもう一つ、再掲載しておきます。正に自分用の投稿記事ですが・・・

参考にしている投稿記事は、「内田樹の研究室::内田ゼミ三回生諸君へ!」で、かなり、昔の投稿記事なのであるため、多少修正を加えました・・・

次の本のうちから一冊を選んで、その書物を素材に「日本人が失ったもの」という主題で思うところを述べなさい。字数2000字程度。

  • 森鴎外「渋江抽斎」
  • 森銑三「明治人物閑話」
  • 谷崎潤一郎「陰影礼賛」
  • 中島敦「山月記・李陵」
  • 吉田満「戦艦大和ノ最期」
  • 夏目漱石「虞美人草」
  • 樋口一葉「たけくらべ」
  • 太宰治「お伽草紙」

また、上記の投稿記事と同時に、「内田樹の研究室::田岡嶺雲の東夷論」という興味深い関連記事も引用しておきましょう。

森銑三といっても知る人は少ないが、私の大好きな文士の一人である。この人の「明治人物閑話」が私の座右の書の一つであるのは折に触れて書いている通りである。

(中略)

家に籠もって森鴎外や夏目漱石や永井荷風や石川淳や中島敦や森銑三のような「明治の匂い」のするものばかり読んでいた。森銑三を読んで成島柳北の存在を教えられ、それから柳北のものを読み始めたのである。私が「日本のおじさんは偉い」という確信を得たのはこれらの明治人のおかげである。

日本人論を語るために必要な書籍20冊

日本人プレーヤーが世界で戦うために、どうすれば良いのか・・・日々、この課題を素人なりに真剣に考えているわけですが(世間に笑われても、これを考えています!)、最終的に行き着くところは、「まずは日本を、日本人を知らなければ話にならない!」といった結論に行き着いてしまいます。私個人として、アメリカに7年間の在住やグローバルプロジェクトに関わって多くの国で仕事をした経験からも、この「日本という国や日本人という人種を知ること」は、本当に重要だと痛感しているわけです。

上記の課題(日本や日本人を知ること)を少しでもクリアにしようと考えれば、やっぱり先人のお知恵を拝借することから始めなければと考えれば、当然、手っ取り速いのは書籍から!ということで「日本論」に関して、内田樹氏が公開している「内田樹の研究室::大学のブランド力とは?」を引用しておきましょう。正に自分用の覚書ですが。

「日本人って、何なんだろう・・・」ということを自身の基礎づけの問題としてとらえた人々、その人自身が「日本人らしさ」の原点として帰趨的に参照される人々の本と日本人論を語る人が読まずにはすませることのできない不可欠のレフェランスあわせて20冊。

成島柳北「柳橋新誌」、勝小吉「夢酔独言」、勝海舟「氷川清話」、中江兆民「兆民先生伝」、森鴎外「寒山拾得」、夏目漱石「吾輩は猫である」、永井荷風「断腸亭日乗」、子母澤寛「新撰組始末記」、司馬遼太郎「竜馬がゆく」、内田百閒「まあだかい」、加藤周一「羊の歌」、吉田満「戦艦大和ノ最期」、伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」、川島武宜「日本人の法意識」、網野善彦「異形の王権」、宮本常一「忘れられた日本人」、岸田秀「ものぐさ精神分析」、加藤典洋「敗戦後論」、三浦雅士「青春の終焉」、関川夏央・谷口ジロー「「坊ちゃん」の時代」。

う~ん・・・日本のテニスを考えると上記のような「日本」に関する書籍が本当に役に立つのかな・・・ちょっとした大学の論文を書く時のような書籍の種類だな・・・ただ、テニスを考えないにしても、興味深い書籍のリストです。