Tag Archive for 内田樹

スランプの考え方

本サイトは、内田樹氏の影響をかなり受けていて(というか、私の考え方が内田氏に影響されているわけですが・・・)、投稿記事の内容や意見には、多分にその引用が多かったり(引用には、必ずリンクを貼っています)、内田氏の書籍に登場していたり。単純に「テニス」という世界に置き換えているだけの内容も存在しています。

そうした中、内田氏のブログに「内田樹の研究室::才能の枯渇について」という投稿記事が公開されました。特に、スランプに関しての記述は、私個人として、100% 賛同する内容ですので、ちょっと引用しておきましょう。

スランプというのは「私たちがそれまでできていたことができなくなること」ではない。できることは、いつでもできる。そうではなくて、スランプというのは「私たちにできるはずがないのに、軽々とできていたこと」ができなくなることを言うのである。「できるから、できる」ことと、「できるはずがないのに、できる」ことはまるで別のことである。

どうも敗戦が続くと「彼/彼女は、スランプだ!」と発言される方々が多いようですが、私はそうした考え方を持ったことがありません・・・上記から、明確になりますよね!スランプを上記のように理解していれば、スランプという言葉を容易に使うことはできないですよね。

身体感受性・・・現代っ子の抱えた問題点

身体知身体知サポート最近、ちょっと歴史小説にはまってしまっていて(といっても、「竜馬がゆく」を読了しただけですが・・・)、なかなか他の書籍に手を出していませんでしたが、久し振りに内田樹氏の文庫本を購入。それが、内田樹、三砂ちづる著「身体知」(講談社+α文庫:2010年10月)身体知サポート2で一気に読了しました。

全体的には、対談集という特徴もあるのでしょうけど、ちょっと単調なような気がしましたが、いつもいつも「こってり」した内容では無くても良いでしょう。一つでも参考になるメッセージがあれば、私にとっては充分です。

この本・・・私のとっては非常に重要なメッセージがあったので・・・

少し、話がずれますが・・・
以前、テニスクラブのマッチ練(試合形式の練習)を見学している時に、ある男子ジュニアがネットプレーを試みようと前へ出ました。対戦相手は、すかさずボレーを避けるために、ロブショット・・・良くある光景ですから何も不思議ではありませんよね。しかし、ネットへ出て行ったジュニア選手、ロブショットを追って、ベースラインへ向かって走った。そして、追っていたロブショットのボール・・・背中に当たったんです!

簡単に言ってしまうと、ロブショットを追ってベースラインへ向かって走っている選手の背中にボールが当たった、ということです。

周囲で見学していた他のジュニア選手、ボールが背中に当たったジュニア選手本人、その他の周囲にいた方々は大笑い!まさか、ボールを追った選手の背中に当たるなんて!そんなことを想定していませんでしたから。

ただ、私は、「笑っていられるのかな~自分ならありえないな、こんなこと・・・どうしてボールが無意識に当たってしまうんだろう・・・」ととにかく不思議でした。ただ、「こんなこと、めったにないし、偶然だろう・・・」と考えていたのですが。

ところが・・・

同じ光景(つまり、ロブが背中に当たる・・・)を連続で観てしまった・・・違う選手、違う場所でしたが。ただ公式の大会で、同じようなことが2度・・・テニスをやっているジュニア選手、どうしてこうしたことが起きるのだろうと本当に深刻に考えてしまった!そして・・・その回答を明確に内田樹氏が語っています。

それは、こうしたジュニア選手(ボールが背中にあってしまう選手)には、身体感受性が無い、ということ!ジュニア選手に限らず、現代の子供は、内田樹氏がいう「身体感受性」が無い、ということが記述されている・・・ちょっと引用しておきましょう。

身体の内側に起こっている出来事に対する感度。あるいは、接触した瞬間に相手の身体の内側で起きている出来事に対する感度。ぼくはそれを「身体感受性」と言っているんですけど、実際にサッカーで相手を見ないままにパスしたり、野球で背走してキャッチしたりしることのできるプレーヤーがいますよね。あれは、目がいいとか、足が速いというような軽量可能な運動能力ではない、身体感受性が鋭いんですよ。(p.29)

上記をベースに考えれば、事例で記述した「ロブショットが背中に当たってしまったジュニア選手」は、身体感受性が鈍い、ということになりますよね・・・ロブショットを背走してリターンしようとしたんですから。それが背中に当たる・・・

内田氏は、更に続けます・・・

いまの子どもはテレビゲームを一日中やって、動体視力と筋肉の反射は速くなったかもしれないけど、身体感受性は回復できないくらいに損なわれていると思いますよ。(p.29)

昔、「かくれんぼ」や「ハンカチ落とし」といった遊びの中で、人の気配のような「殺気」を感じるような訓練方法があったけど、今はそうした遊びの中で、身体感受性を鍛える方法がなくなったと主張しています。

なるほど!「気配」を感じる能力が劣っている・・・ボールがきそうな場所を気配として感じることができない・・・ちょっと深刻な現代の問題だと感じるのですが、今や、そうした身体感受性をも訓練する必要があるというのは、ちょっとタフでよね・・・

小成、大成を妨げる!遅咲きのテニスプレーヤを見極める・・・

「小成、大成を妨げる」というのは、内樹樹氏の書籍で知りました(詳細は、別の投稿記事にしようと考えています)。小さな成功は、大きな成功を妨げますよ、という意味。私個人も、別の言葉で娘にはこれを強調しています。「目先の試合の勝利に拘って、小さなテニスをしてはいけない」と最近出会ったコーチの口癖です。それを信じて、私個人は、それなりに頑張っているのですが・・・

試行錯誤の毎日・・・ Twitter にはまっている毎日・・・そして、素晴らしい内容の投稿記事に出会いました。正に「小成、大成を妨げる」を解説したような内容です。その投稿記事は、「稲本 昌之のテニスコーチ日記::いろいろな格差!ぶきっちょでもええでないか~」で、大阪府にある江坂テニスクラブのコーチです。

テニスでいうと、同じだけ練習してもその結果には格差が出てきます。その格差には2種類あると思います。

  1. 先天的な才能による格差
  2. 学ぶ能力や器用さなど、結果がでるスピードによる格差

注目すべきなのは、2です。

(中略)

早咲き、遅咲きという言葉があります。

  • 器用である。
  • 家族がテニスに一生懸命。
  • ミスが少ない。

このような理由で、早期に結果がでるプレーヤーはいます。しかし、指導者は早咲き、遅咲きをしっかりと見極めて育成していくことが、大切だと思ってます。

(中略)

ベストを尽くしたなら、与えられた環境でのゴールをむかえられたなら、自分を高く評価すべきです。なのに、低く評価してしまう。ここに心の歪みが生じてしまう。逆に言えば、評価が得られなければ、頑張っても意味がないと思ってしまう。

これこそ、若い段階で「小成」を積み重ねているうちに「大成」を妨げてしまうことになっているのではないでしょうかね?しかし、周囲には、「小成」を取り上げて、「大成」を追う若き選手を振り落としていくような指導者も存在していることは事実です。上記のような考え方をするコーチに出会ってみたいものですが・・・(大阪に行くチャンスがあったら、ちょっと見てみたいな~なんて勝手に考えています・・・)

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テニス界という共同体

最近、完全にはまっている Twitter ですが、先日、茂木健一郎氏の実践されている「連ツイ」を自分でやってみました!(詳細は、本投稿記事、「茂木健一郎氏の「連続ツイッター::連ツイ」の方法」参照下さい)

テーマは、以前、読んだ本に記述されていた「共同体」に関する考え方をテニス界へ適用!?しようといった内容です。まずは、その「連ツイ」をば引用しておきます。

(出典:「Twilog::Zero Cool(@zerochacool)/2010年09月26日」より)

  • 共同体(1) 以前、内田樹氏の書籍の中で、「ある共同体の発展は、共同体の外にいる者が認めてくれることが必要」と記述していたことを記憶している。つまり、第三者がその共同体を認めなければ、その発展は望めない、ということであると理解している。 posted at 06:58:15
  • 共同体(2) 共同体の中の人達が、どんなに素晴らしいものと判断したところで、それはマスターベーションである。共同体の発展を望むなら、共同体の外にいる者を意識した活動が必要であり、第三書の賛同が必要である。 posted at 07:00:50
  • 共同体(3) 内田樹氏の共同体に関する指摘をテニス界に転じて考えると、反省点が見えてくる。テニス界は、「テニスを発展させたい」という考えを持っている者達の集団、即ち「共同体」なのである。そんな共同体の中にいる我々は、その発展のためには、第三者の賛同を得るように行動する必要がある。 posted at 07:06:31
  • 共同体(4) テニス界から見ての第三者とは、テニスをしていない人達、団体等である。そうした連中の賛同を得ることがテニス界の発展を支える、ということをもっと自覚する必要がある。 posted at 07:10:35
  • 共同体(5) テニスに関係している選手、保護者、コーチ、テニス団体等がどんなに素晴らしいと判断してもそれはテニス界の発展には繋がらないのである。そうではなくて、第三者、それもできるだけテニス界という共同体から離れたところにいる者達の賛同を得るような努力が必要である。 posted at 07:12:20
  • 共同体(6) 「それがテニスだから・・・」、「テニスは特別だから・・・」、「それではテニスが・・・」と第三者に対して、我々テニス界は、第三者に対して「テニスは特別である」ことをどんなに説明しても、第三者の賛同得られないだろう。即ち、テニスの発展は望めない。 posted at 07:16:08
  • 共同体(7) テニス界は、我々は他の共同体と比べて、何が特別なのか、何が必要なのか、何が欠けているのかを真剣に考えて、それをどうやって解決していくのかを第三者の指導を仰がなければならない時期にきている。それを実行しなければ、テニス界という共同体の将来はなくなってしまうだろう。 posted at 07:18:45

結構頑張って連ツイしたけど・・・本当に、簡単にスラスラと出てくるものではないんですよね・・・今後も、脳トレと思って連ツイしていこうかな・・・なんて考えていますが。

良い試合を観戦してミラーニューロンを活性化する!

仕事の関係で、渡米して結局は7年以上もアメリカに滞在していましたが、その時に、プロバスケットボール、NBA 観戦にはまったのは、以前私がバスケットボールをやっていたことを知っている方々には、改めて説明する必要は無いと思いますが。ちょっと異常なほど(現地のアメリカ人からも、You are crazy on NBA. と表現されたほど・・・)でした。

当然、試合会場まで行って観戦することは当たり前ですが、自宅でもケーブルテレビで、試合前から全ての自分の作業(残仕事やシャワー等々)を完了して、NBA のテレビ放送にかじりついていました・・・そして、観戦しているだけで「くたくたに疲れてしまう」という経験をしてきました。観戦しているだけで、疲れてしまう・・・不思議でしたが、今はこの状況に科学的に納得しています!

NBA のテレビ観戦で、「ミラーニューロン」が活性化していた!つまり、身体的にバスケットボールを実践していなくても、脳内ではバスケットボールを実践していた!心理学を勉強し始めて、ちょっと統計的な分析に飽きてきて、脳科学を勉強して発見した驚くべき事実!この「ミラーニューロン」に関して、解り易い内容が内田樹氏のブログにおいて、「内田樹の研究室::団体行動のすすめ」として公開されましたのでご紹介。

先日の演武会をご覧になった方は気づかれたであろうが、初心者と上級者の違いは、「ポジショニング」にまず表れる。演武をする畳のどの位置に座るかは畳の広さと演武者の数から、自動的に決まる。しかし、初心者はどこに行けばいいのかわからず、なんとなく前の人についてゆくので、しばしば「だま」になってしまう。演武が終わったあとも、どこに戻ればいいのかがわからず、最初と違う位置に座ってしまう人がいる(これは上級者にも散見されるが)。これは「スキャン」ができていない、ということを意味している。

「スキャン」というのはつねづね申し上げているように、「自分を含む風景を上空から俯瞰する想像的視座」に立つ能力である。ボールゲームの場合であれば、どこにスペースがあるのか、どこにディフェンスの穴があるのか、どこに味方のサポートがあるのかを上空から俯瞰して、逡巡せずにその最適動線を走るためには「スキャンする力」が不可欠であることは誰にもわかる。

ここまでは、良いですよね!実は、バスケットボールをやっているとある瞬間、全体がパッと見えるような(まるで、もう一人の自分が自分に指示を出すような・・・)瞬間を感じることがありました。幽体離脱・・・脳科学の世界でも、アスリートの幽体離脱経験は実証されているそうですが、正にそうした能力です。投稿記事は続きます。

問題は「スキャンする力」はどうやれば涵養されるかである。これについても何度も書いた。「スキャンする力」は「ミラーニューロンの活性化」と相関する。他人が何か動作をしているときに、私たちの脳内でも、その動作をするときに必要なニューロンが発火している。ただし動作としては出力しない。脳内で「シミュレーション」だけが行われる。シミュレーションした動作を「出力」回路に繋げると、見たのと同じ動作が再現される。

つまり、他人がやっていることをみているだけで、自分がやっているときに活性化するのに必要な脳の働きが生じる、ということです。

「見取り稽古」というのは、すぐれた術者の動きをただ見ているだけの稽古のことであるが、これはなまじばたばた走り回って大汗かいて稽古するよりもはるかに術技の上達に資する。怪我をすると稽古を休んでしまう者がいるが、本当は怪我をしているときに黙って稽古を見ているというのはきわめて効果的な稽古なのである。

とにかく、そうやって他人の動きを熟視して、脳内でシミュレーションをしていると、何が起きるかというと、「他人の身体に仮想的に入り込んでしまう」ということが起きる。なにしろ自分の脳内では、他人の動作がニューロンレベルでは再現されているので、「まるで自分自身が動いているみたい」に感じられるのは原理的には当たり前のことなのである。

どうですか?科学的に立証されている・・・上記のことは、テニスだってまったく同じことが言えますよね。「良い試合を観戦することで、自分のミラーニューロンを活性化し、大汗をかいて練習すること以上に向上することができる・・・」ということがいえる!重要なことは、「良い試合を観戦すること」です。自分が対戦するような同じようなレベルの選手の試合をみるよりは、上位の選手が登場するより上のラウンドや大会を観戦すること・・・それも立派な練習なんですよね!

日本テニスを語るため、司馬遼太郎を読むこと!?

日本のテニスにこだわっている私ですが、その前に、まずは「日本とは」に関しての知識をしっかりと身につけないと・・・と考えています(馬鹿かも・・・)。日本を知らずして「日本のテニス」を語れない、なんて変な偏見があるものですから。

それにしてもあまりにも「日本」を知らないな、と感じている今日この頃で、あっちこっちで「日本とは」を知るための書籍を探しています。で、いつものように内田樹氏のブログから。どうやら、司馬遼太郎や吉本隆明は知らなければいけない!?

ある国の文化的作物のうち、「その国固有」のものであるかどうかを判定する基準は「国外に愛好者を持たない」ということではないかと私は思っている。例えば、司馬遼太郎は日本の「国民作家」であり、吉本隆明は日本の「国民思想家」である。ご異論のある方はおられぬであろう。

その司馬遼太郎は英語訳が三点しかない。「最後の将軍」と「韃靼疾風録」と「空海の風景」だけ。「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も「燃えよ剣」も「街道をゆく」も翻訳がないのである。日本人の心性と価値観と美意識をみごとに描いたこれらの文章に非日本人はまったく関心を示さないのである。

吉本隆明が戦後日本思想を「知る」上で必須の文献であることに異論のある人はいないであろう。その吉本隆明の著作は外国語訳が一つもない。「擬制の終焉」も「自立の思想的拠点」も「共同幻想論」も「言語にとって美とは何か」もどれも外国語に訳されていないのである(加藤典洋さんに聴いた話では『共同幻想論』は以前フランス語訳が存在したそうであるが、いまは絶版)。

海外旅行の間に、ふっと「司馬遼太郎が読みたい」とか「藤沢周平が読みたい」とか「吉行淳之介が読みたい」とか「島尾敏雄が読みたい」思うことだってあると思うけれど(ないかな)、現地の本屋にはないのである。

でも、村上春樹はある。たくさん並んでいる。司馬遼太郎と村上春樹はどこが違うのか。
もしかすると、「対抗文化」だけが世界性を持ちうるということなのであろうか。

引用:「内田樹の研究室::ヒップホップと司馬遼太郎と村上春樹」より

実は、司馬遼太郎を私は読んだことがない・・・「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も「燃えよ剣」も「街道をゆく」も読んだことがないのです。どうやら「非日本人」なのかな・・・周囲の人は、「あなたは日本人離れしている・・・」を私を評価するのも解るような気がする・・・

下記、内田樹氏のブログから、上記と似たような内容の投稿記事を引用しておきます。

司馬遼太郎の外国語訳を読むことはきわめて困難である。Amazonで現在入手できる英訳は3点しかない(「最後の将軍」、「韃靻疾風録」、「空海の風景」)。「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も「世に棲む日々」も「燃えよ剣」も外国語では読めないのである。

意外でしょ。

外国の学者が日本的心性について知りたいと思ったら、司馬遼太郎を読むのが捷径だと私は思うが、その道は閉ざされているわけである(むろん、藤沢周平や池波正太郎も英語訳は存在しない。ついでに言えば、吉行淳之介も島尾敏雄も安岡章太郎も小島信夫も英語では読めない)埴谷雄高も谷川雁も平岡正明も村上一郎も吉本隆明も英訳はない。

この選択的な「不翻訳」は何を意味するのか。とりあえず「日本の50-60代のおじさんたちの胸にキュンと来る本」は外国語に翻訳されにくい、ということは言えるであろう。

引用:「内田樹の研究室::おじさんの胸にキュンと来る」より

やっぱり「竜馬がゆく」位は読んでおかなければ・・・と思い立って現在読書中!これが想像以上に面白くてビックリ・・・これまで読まなかったことをちょっとだけ後悔し始めました・・・

日本男子の必読本!?竜馬がゆく

「kids-tennis.com::龍馬伝」は、ちょっと興味深いですね!ちょっと引用しておきましょう。

僕は日本男子の必読本と言われる「竜馬がゆく」は勿論何度も読みましたし、関係の資料も見た事はあります。が、別段、坂本龍馬という人物を深く尊敬しているわけでもありませんし、憧れているわけでもありません。

しかし、教科書にも出て来ない当時の身分制度では脱藩浪人という非公式人物ながら世界へ開かれた考えを持ち、多くの人から愛され、閉ざされた時代を倒す礎を作り、なぜ今の時代もここまで人気を博しているのか。

「日本男子の必読本」と言われているんですか、「竜馬がゆく」って?知りませんでしたが、そんなことは良いとして、本ブログでしばしば登場している内田樹氏も「日本人論を語るために必要な書籍20冊」にあげている本ですから、やっぱり読んでみるかな・・・

【追記:2010年9月6日】
「Twitter」は、最近欠かせない情報源ですが、2010年9月6日に茂木健一郎氏が、坂本竜馬を「連ツイ」していたので、柿に引用しておきます。

  • これからの日本に必要なのは、土佐を脱藩して独立した自由人として幕末の日本で人と人を結び、維新への流れをつくった坂本龍馬のような思想、行動ができる人である。
  • 脱藩八策(1)自分の存在、意義を、組織や肩書きに依存するな。他人を、組織や肩書きで判断するな。組織や肩書きを手に入れることを人生の目標にするな。組織から放り出され、肩書きを失っても、自由闊達に生きられるような資質を身につけることを目指せ。
  • 脱藩八策(2)脱藩のために必要なのは、自分自身の内部の「安全基地」である。知識、経験、人脈を、組織とは関係なく、組織を超えて蓄積する。確実なものを持つことが悪いのではない。確実なものを「安全基地」として「偶有性の海」に飛び込めばいいのである。
  • 脱藩八策(3)根拠のない自信を持て。そして、それを裏付ける行動、努力をせよ。26歳で土佐を脱藩した龍馬には、何の裏付けも、保証もなかった。行動しないことの言い訳をつくるな。根拠のない自信で、自分自身の背中を押せ。
  • 脱藩八策(4)プリンシプルを持て。不確実性の中に自分を投げ込む時、指針を与えてくれるのは、揺るぎないプリンシプルだけである。確固としたヴィジョンがあれば、柔軟に状況に対応できる。芯に何もない人は、体面を気にしたり、些事に流されたりする。
  • 脱藩八策(5)自分が惚れ込める人を、走り回って必死に探せ。脱藩者にとって、頼りになるのは卓越した、信用できる人たちとの結びつきである。組織や肩書きではなく、一人の人間として輝いている「恒星仲間」を見つけろ。彼らとの間に、「星の友情」を結べ。
  • 脱藩八策(6)「点」と「点」、「人」と「人」を結べ。既存の組織、文脈を超えて補助線を引き、自ら補助線となることができるのが、脱藩者の特権である。薩摩、長州どちらの藩の人間にも、薩長同盟は締結できなかった。現代の脱藩者にとって、「薩長同盟」にあたるものは何か、必死に考えよ。
  • 脱藩八策(7)養老孟司さんは「東大教授は、名刺の真ん中に『東京大学教授』と大きく書き、肩書きのところに小さく自分の名前を書け」と言われた。今や、「組織は、ならずものの最後の砦」である。組織で人を判断するな。組織に所属しない人を、軽んずるな差別するな一人の人間として対等につきあえ。
  • 脱藩八策(8)坂本龍馬は、維新後の新政府の閣僚に加わる気はなかった。「世界の海援隊」を目指す中、志し半ばに倒れた。世界が一つに結ばれる今、一国の政治も大事だが、それだけでは小さい。勇気ある脱藩者は、むしろ、「世界の海援隊」を目指せ。必死になって疾走し、「点」と「点」を結びつけよ。

あんまりテニスに関係ないかな・・・それでも参考になるはず!

タツルカップ!?どうでもいいけど、内田樹氏推薦本

ちょっと「テニス論」とは、まったく違った趣旨でしょうけど・・・ちょっと、面白いウェブページ「タツルカップ・レポート(特集)::平日開店ミシマガジン」に、内田樹氏の推薦する書籍が5冊掲載されていたので、リストしておきましょう。日本論に関する書籍もあれば、どうしてこれが推薦本!?といったものまでありますが・・・

上記リストで、丸山真男著「日本の思想」(岩波新書:1992年2月)は、高校生時代の国語の副教材で、さっぱり解らなかった記憶があります。岸田秀著「ものぐさ精神分析 改版」(中公文庫:1996年1月)、宮本常一著「忘れられた日本人」(ワイド版岩波文庫:1995年2月)、養老孟司、内田樹著「逆立ち日本論」(新潮選書:2007年5月)の3札は、以前から読んでみたいな、と思っていましたので・・・

日本人が失ったもの

先日の投稿記事「日本人論を語るために必要な書籍20冊」に引き続き、「日本論」に関して以前他のブログで公開した投稿記事をもう一つ、再掲載しておきます。正に自分用の投稿記事ですが・・・

参考にしている投稿記事は、「内田樹の研究室::内田ゼミ三回生諸君へ!」で、かなり、昔の投稿記事なのであるため、多少修正を加えました・・・

次の本のうちから一冊を選んで、その書物を素材に「日本人が失ったもの」という主題で思うところを述べなさい。字数2000字程度。

  • 森鴎外「渋江抽斎」
  • 森銑三「明治人物閑話」
  • 谷崎潤一郎「陰影礼賛」
  • 中島敦「山月記・李陵」
  • 吉田満「戦艦大和ノ最期」
  • 夏目漱石「虞美人草」
  • 樋口一葉「たけくらべ」
  • 太宰治「お伽草紙」

また、上記の投稿記事と同時に、「内田樹の研究室::田岡嶺雲の東夷論」という興味深い関連記事も引用しておきましょう。

森銑三といっても知る人は少ないが、私の大好きな文士の一人である。この人の「明治人物閑話」が私の座右の書の一つであるのは折に触れて書いている通りである。

(中略)

家に籠もって森鴎外や夏目漱石や永井荷風や石川淳や中島敦や森銑三のような「明治の匂い」のするものばかり読んでいた。森銑三を読んで成島柳北の存在を教えられ、それから柳北のものを読み始めたのである。私が「日本のおじさんは偉い」という確信を得たのはこれらの明治人のおかげである。

日本人論を語るために必要な書籍20冊

日本人プレーヤーが世界で戦うために、どうすれば良いのか・・・日々、この課題を素人なりに真剣に考えているわけですが(世間に笑われても、これを考えています!)、最終的に行き着くところは、「まずは日本を、日本人を知らなければ話にならない!」といった結論に行き着いてしまいます。私個人として、アメリカに7年間の在住やグローバルプロジェクトに関わって多くの国で仕事をした経験からも、この「日本という国や日本人という人種を知ること」は、本当に重要だと痛感しているわけです。

上記の課題(日本や日本人を知ること)を少しでもクリアにしようと考えれば、やっぱり先人のお知恵を拝借することから始めなければと考えれば、当然、手っ取り速いのは書籍から!ということで「日本論」に関して、内田樹氏が公開している「内田樹の研究室::大学のブランド力とは?」を引用しておきましょう。正に自分用の覚書ですが。

「日本人って、何なんだろう・・・」ということを自身の基礎づけの問題としてとらえた人々、その人自身が「日本人らしさ」の原点として帰趨的に参照される人々の本と日本人論を語る人が読まずにはすませることのできない不可欠のレフェランスあわせて20冊。

成島柳北「柳橋新誌」、勝小吉「夢酔独言」、勝海舟「氷川清話」、中江兆民「兆民先生伝」、森鴎外「寒山拾得」、夏目漱石「吾輩は猫である」、永井荷風「断腸亭日乗」、子母澤寛「新撰組始末記」、司馬遼太郎「竜馬がゆく」、内田百閒「まあだかい」、加藤周一「羊の歌」、吉田満「戦艦大和ノ最期」、伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」、川島武宜「日本人の法意識」、網野善彦「異形の王権」、宮本常一「忘れられた日本人」、岸田秀「ものぐさ精神分析」、加藤典洋「敗戦後論」、三浦雅士「青春の終焉」、関川夏央・谷口ジロー「「坊ちゃん」の時代」。

う~ん・・・日本のテニスを考えると上記のような「日本」に関する書籍が本当に役に立つのかな・・・ちょっとした大学の論文を書く時のような書籍の種類だな・・・ただ、テニスを考えないにしても、興味深い書籍のリストです。