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脳科学、再び!「脳」の働きを良くする方法

心理学や脳科学はテニスがきっかけで興味を持ちました。当初、テニスクラブで「娘さん、メンタルが弱いですね~」と指摘されたのがきっかけです。当初は、心理学をベースにメンタルを勉強したのですが、どうも心理学は統計的な根拠が曖昧になっているような気がし・・・中でもスポーツ心理学という世界は、どちらかというとオカルトに近い感じがして、そして出会ったのが脳科学でした。

最近、そんな脳科学の特集が雑誌「CIRCUS」にあって、脳科学に関する流行の歴史が掲載されていました!私は、脳科学といえば池谷裕二氏の書籍を全て読了していますが、その他にも脳科学に関してはいろいろと書籍が出版されているのですがどれから読んだらいいのか皆目見当も付かなかったのですが、この雑誌の特集で以下の書籍を読んでみようかな、と再度、脳科学への興味が・・・

上記2冊は、日本の本格的な「脳ブーム」の先駆け的な存在の本だそうで・・・私は、まだ読了していませんから読んでみようかな、と思わせてくれる本です。特に、立花隆氏と養老孟司氏の書籍ですので損はないでしょう。また、雑誌で以下の2冊も興味津々です。

村上春樹氏と河合隼雄氏との対談の本・・・こりゃ読むしかないだろ、と自分に言い聞かせている書籍と「脳が全て、という考え方は危険だよ」と促している本である福岡伸一氏の本。どうやら私の中の「脳」に関して興味はどこまでいっても止みそうにありません。

試合中のコーチング禁止、と言われても・・・また、時代小説から学ぶ!

最近、プロテニスの世界では、オンコートコーチングシステムと呼ばれる試合中のコーチングを許可する大会が増えてきました(ひょっとして、WTA だけでしょうか!?)。コーチの重要性は、言うまでもありませんが、こうした新しい(と言っても随分と前からですが・・・)試みは、テニスのやり方に変化をもたらすのでしょうね!

さて、現在、「千葉県ジュニアテニス選手権大会」がスタートしていますが、その要項の注意事項に以下のような項目があります。何も珍しいものではありませんし、千葉県だけってことでもありませんし、世界共通の注意事項ですよね・・・

試合中どんなアドバイスや助言もうけてはならない。応援は声を出さないこと。
以上に違反したプレーヤー、コーチ、観客は警告に従わないとき退場(失格)させられる。

しかし、この注意事項ってどこまで有効なんでしょう・・・目的はなんでしょう・・・プレーヤは、たった一人で、可能な限り平等な条件で戦う、ってなことなのでしょうけど、コーチは、その日の選手のプレーは、選手の試合内容をちょっと観戦すれば、どんな調子なのか判断できるでしょうし、選手は、会場にいるコーチの何気ない仕草で、何を修正すべきなのか判断できてしまうような気がするのです。つまり、コーチが会場にいるだけで、アドバイスをすることになるような気がするんです。私は、それを「いけない」と主張したいわけではなく、そういうものだと思うと主張しているだけではありますが・・・

上記のようなことを常に感じていたのですが・・・正に、それを裏付けるような内容が時代小説からも読み取ることができます(また、時代小説です!行き過ぎだ、と言われても止めない私です!)。その時代小説とは、隆慶一郎著「鬼麿斬人剣 改版」(新潮文庫:2008年5月)鬼麿斬人剣です。物語はさておき、上記に関連する記述を引用しておきましょう。

この二人は時におかしな仕草をかわす。鼻の下をこすったり、唇をとがらせてみたり、耳をつまんでみたり、片目をつぶってみせたりする。すると一方も必ず膝の塵を払ったり、胸をさすってみせたりする。(中略)その仕草で意思を疎通させ合っていたのである。(p.262)

何も話さず、ただただ向き合っている二人。何をすることもなく、ただただ酒を飲んでいる・・・実は、昔から日本には「あうんの呼吸」とか「暗黙の了解」とか、何も言葉を交わすことなく、お互いがその意味を理解するようなことがあるのは、誰でも認識しています。そうした情景を見事に表現している上記の文章ですが、これって、きっと今の日本人の文化の中でも生きていると思われます。

私の理解が正しければ、長年、付き合いのあるコーチと選手なんて、ちょっとした仕草で、お互いの意思疎通が可能で、何が良くて、何を修正する必要があるのか、といったことは、コーチが試合観戦している仕草だけで、選手が理解できるようになると思うわけです・・・

ちょっと飛躍しすぎかな・・・

「型」を理解する!歴史・時代小説は、テニス教本になる・・・

かくれさと苦界行かくれさと苦界行1最近の歴史・時代小説への執着は、自分でもちょっと驚いています。あれだけ、歴史が嫌いだった私が、どうすればここまではまるのだろうと、自問自答しています。

そうした中、隆慶一郎氏の時代小説は、もう留まらないといった感触で、今回も隆慶一郎著「かくれさと苦界行改版」(新潮文庫:2007年12月)かくれさと苦界行2を一気に読了。夢中で読み進んだ、という感じです。

隆氏に限らず、歴史・時代小説には、当然ですが「決闘」シーンが登場するのですが、そうした決闘シーンでの剣士達の情景は、正に昔の真剣勝負、つまり生きるか死ぬかの場面を詳細に表現しています。「殺気を感じ・・・」、「予感があり・・・」、「相手のその動きから・・・」等々、何気ない描写にテニスでも参考になりそうなシーンが多々ある、と感じています。

上記の「かくれさと苦界行」には、決闘シーンに関連して、以下のような記述があります。正に、テニスに通ずる内容と信じています。

すべての剣の技術は自得するしかない。師によって教えられるのは型にすぎず、それを己のものにするのは各人の天性と果てしない研鑽によるしかない。その技術が己の第二の本能と化するほど鍛え込んで、はじめてその技法は力を持つ。

(中略)

そもそも完成された剣の型などあるわけがないのである。それは刻々と変化し、日々に新たでなければならない。それでなくては、それは単なる死んだ型に過ぎまい。(p.422 – 423)

内田樹氏は以前、その著書で日本の武道がもっと失ったものの一つに、「型稽古」をあげていましたが、上記は、その「型」に関する記述です。上記の文章をテニスに置き換えると、まさにテニスの練習そのものに変化します。やってみましょうね!

すべてのテニスの技術は自得するしかない。コーチによって教えられるのは型にすぎず、それを己のものにするのは各人の天性と果てしない研鑽(けんさん)によるしかない。その技術が己の第二の本能と化するほど鍛え込んで、はじめてその技法は力を持つ。

そもそも完成されたテニスの型などあるわけがないのである。それは刻々と変化し、日々に新たでなければならない。それでなくては、それは単なる死んだ型に過ぎまい。

どうですか?「剣」という言葉を「テニス」へ、「師」という言葉を「コーチ」に置き換えただけです。選手へのメッセージとして、まったく違和感がない文章になると感じるのは私だけでしょうか。もうこうなると、歴史・時代小説なんて、テニスの教本になると思いませんか?

コーチは、「型」を選手に伝授する(ただし、その型は、日々新しく生まれ変わっている必要があるのですが・・・)。選手は、その「型」を第二の本能と化させるために研鑽(努力してものにすること)すること、と主張されています。もうやめられませんね、歴史・時代小説!

戦う前の心構えを時代小説から読み取った!隆慶一郎氏の「死ぬことと見つけたり」より

隆慶一郎隆慶一郎2昨年(2010年)の前半は、ミステリー小説にどっぷりはまって、後半は歴史・時代小説にはまって・・・今も昨年後半からの続きで時代小説にはまっていますが・・・どうも、この凝り性は、死ぬまで続きそうです。長続きしないのが欠点ですけど。

そんな時代小説では、隆慶一郎(りゅうけいいちろう)氏の小説にどっぷりはまっています。そんな隆慶一郎氏にはまった時代小説ファンを「隆慶一郎シンドローム」と呼ぶそうですが・・・まっ、そうしたことは、本投稿記事に主旨ではありませんから、詳細を公開することは避けますが、時代小説を読んでいると、頻繁に「身体感受性」に関する記述が多い!「殺気を感じて・・・」、「殺意を感じて・・・」、「あとを付けられているような気がして・・・」等々、気配を感じる場面描写が多いことに驚かされています。以前、本ブログで公開した「身体感受性・・・現代っ子の抱えた問題点」を読み返していました。

今はまっているのは、隆慶一郎著「死ぬことと見つけたり(上巻)改版」(新潮文庫:2007年07月)という小説。あらすじは、本ブログの主旨ではありませんから省略しますが、小気味良い文体は、時間を忘れてしまうほど。どんどん読み進めていくのですが、そんな中に、主人公が生まれてきた息子のために、熊狩りに行くシーンがあります(どうして熊狩りに行くのかは、小説を読んで下さいね!)。その場面で、ふっとテニスの試合が浮かんできました・・・

そのシーンとは、大きな熊を探している場面から・・・

杢之助(もくのすけ)の追跡は、単に行方を追うだけのことではない。全能力を働かせて、相手を理解しようとしているのだ。その証拠に熊の残した様々な痕跡にぶつかるたびに、微笑してみせたり、首を振ってみせたりして、何か口の中でぶつぶつ呟いている。耳を澄ませて聞いていたところ、なんと熊に向かって話しかけているのだ。
「えらいなァ、お前は。なんて頭のよさだ」
「おっと、よろけたね、お前。急いでいるのかい。お前らしくもない」
声の調子はあくまで優しく、まるで仲間に話しかけているようで・・・(省略)

(引用:隆慶一郎著「死ぬことと見つけたり(上巻)改版」(新潮文庫:2007年07月) p.322より)

これから戦うであろう熊・・・まだ見たこともない熊を、その痕跡から全能力を働かせて相手を理解する・・・試合前、まだ戦わぬ対戦相手を全能力を働かせて理解する、と読みかえることができませんか?あまりにも独創的でしょうかね、私。さらに、そうした「こじつけ」の余韻を残して読み進めて、登場した下記の文章・・・

追跡とは一種の相互理解である。追跡行を通じて追う者と追われる者は、お互いに相手を徐々に徐々に理解してゆく。そしてその理解が限界に達した時に決闘が来る。そしてこの決闘では、理解度が深い方が通常勝ちを拾う。勿論、偶然が大きな要因となることはあるが、それは考えに入れようのない不確定因子である。その点を除けば、今言ったような図式になる。

(引用:隆慶一郎著「死ぬことと見つけたり(上巻)改版」(新潮文庫:2007年07月) p.339より)

こうなるともうテニスの試合前の準備の何物でもない・・・と感じてしまいました!「試合前の準備とは一種の相互理解である。理解度が深い方が通常勝ちを拾う」って読めてしまう・・・特に、試合前の伊達公子選手のブログを読んでいると、そんなプロフェッショナルな世界を垣間見ることができると感じていますが。

あまりにも飛躍しすぎかな・・・

「甲子園が割れた日」から学ぶこと:高校生という年齢

甲子園が割れた日甲子園が割れた日1雑誌「おすすめ文庫王国(2010-2011)」に紹介されていた中村計著「甲子園が割れた日 – 松井秀喜5連続敬遠の真実」(新潮文庫:2010年08月)甲子園の割れた日2を読了。2011年、最初の文庫本読了となりました。

本書、タイトル通り、私の年代のおじさん世代で高校野球ファンには、絶対に忘れないであろう「1992年夏、星稜 vs. 明徳義塾戦」でおきた「松井秀喜5連続敬遠」を題材に、関係者に対して徹底取材したノンフィクションです。私は、この試合は、アメリカ滞在中で観てはいませんが、報道番組やテレビ番組で放送していますから記憶しています。著者の中村計氏は、今をときめくスポーツライターだそうで、千葉県船橋市出身。ちょっと息抜きに読んでみようかな・・・と思って購入したのですが、一気に読み進んでしまいました!面白い!!「敬遠」した側、された側とどちらを「正しい」といった結論を導くことなく、そこで何が起きたのか、その後、関係者はどうなっているのか等々、徹底した取材をベースにしていますから、その説得力は素晴らしいものがあります。

さて、本書、高校野球を扱っているため、とても興味深い記憶すべき内容があります。「野球だから・・・」と見過ごすことなく、「高校生」という視点での論点で、記述されています。

高校生は計算できないー。
特に大学や社会人の監督経験がある指導者ほど顕著だが、高校野球の監督はたいていこの壁にぶつかる。体や技術以上に精神の未熟さに悩まされるのだ。

そして、その未熟さを補うために多くの指導者が取ってきた方法が常軌を逸した練習を課し、自分たちはこれだけやったのだからできるはずだと錯覚させることだった。それが近道なのかどうかはわからない。だが、一定の成果を上げてきたことも事実だ。(p.74)

ここ数年、プロフェッショナルの世界(テニスに限らず)では、若年化することが素晴らしいことかのごとく騒ぎたてていますが、本来、高校生という年齢でさえ、上記で記述されているように「精神の未熟さ」が際立っている・・・特に、テニスの世界では、高校テニスや学生テニスへの進路(いわゆる学校テニスですね!)をとることがまるで、「世界で通用しない選手を育成している」かのごとく騒いでいる方々がいらっしゃる。

私個人としては、高校という環境、大学という環境を通過することによって、精神を鍛えてくれ、更には応援者を増やすと信じていますので、もっともっと学校テニスとの共存を検討すべきだと考えているのですが・・・高校は通信制、つまり、実際の高校とは相当違った環境を与えられ、世界を転戦することが「当たり前」であるとされるようなテニスの世界は、やっぱり私からは異常な世界に見える・・・と思っているのですが・・・

意識と無意識

池谷裕二池谷裕二1大晦日(つまり昨日・・・)、毎年恒例の積んである書籍の整理をしていたところ、一冊の本を見つけました・・・

池谷裕二著「単純な脳、複雑な「私」」(朝日出版社:2009年5月)池谷裕二2がそれですが、「本を開いてはいけない・・・」と思いつつ、ちょっとだけならと開いてみたのですが、やっぱりこの本、読み込んでしまう・・・出版されて直ぐに購入して何度も読んでいるのですが、やっぱり面白い!本書は、池谷氏が、高校生への講演として実践した内容ですから、高校生でも理解できるはず!ちょっと難しい内容もありますが、大人でも十分に楽しめますよ。

さて、この本の出だし、つまり講演の序盤ということになるのでしょうけど、とっても興味深い内容が目白押しです。特に、「意識」と「無意識」に関する説明は、我が娘には、是非とも理解して欲しい内容です。というよりも、現代っ子には、是非理解しておいて欲しい内容、と言っていいかもしれません。と言うことで、ちょっと引用しておきましょう。

私たちの心には、「意識できるところ」と「意識できないところ」があるってことです。意識と無意識ですね。そして、どっちの世界が広大かといえば無意識。つまり、私たちの行動や思考のほとんどは無意識的な振る舞いです。

でも残念なことに私たちは、意識できるところしか意識できないんですよね。当たり前ですけど。だから、その意識できている自分こそ、自分のすべてであると思い込んでしまいがちなんですよ。

でも本当はそんなことはない。無意識のレベルで私たちはたくさんのことを考えたり、判断したり、決断したり、欲情を生んだり、いろんなことをしているんです。

だから、自分が想像しているほど、自分のことは自分ではわからないんです。「自分のことは自分が一番知っている」なんて思い込みは、ちょっと傲慢(ごうまん)で、危険ですらある。他人の方が、案外、自分のことを理解してくれていたりするでしょう。(p.18-19)

「自分で自分を決めてしまう・・・」ということは、脳科学の世界では危険な判断、と解釈できる・・・他人の自分への評価をもっと素直に聞き入れること、それが脳科学の世界では重要である、と言うことを主張していますよね。この無意識の世界を知っているだけでも、または自覚できることで、更なる上を目指せると思うわけです。

脳はなにかと言い訳する・・・

脳はなにかと言い訳する脳はなにかと言い訳するサポート1池谷裕二著「脳はなにかと言い訳するー人は幸せになるようにできていた!?」(新潮文庫:2010年06月)脳はなにかと言い訳するサポート2を読了。以前から、内田樹氏に関しては記述していますが、もう一人、テニスに関わるようになってとっても影響を受けている人・・・それが本書の著者である池谷裕二[1]氏です。

長女が大学進学時に心理学を専攻することを決めたのと同時に、次女の試合中のメンタル面での弱さをコーチに指摘されたのをきっかけに心理学を独自に勉強し始めたのですが、どうも心理学は、統計学のようで・・・今一つ、科学的な根拠に乏しいかな、と感じていた時に出会ったのが「脳科学」という世界でした。今やちょっと「流行り」のようになっていますが・・・

本当にたくさんの「脳科学」に関する書籍を読み漁りましたが、何と言っても素人でも理解できる簡単な文章や内容になっているのが、この池谷裕二氏の書籍である、と私は断言しちゃいます。何と言っても「高校生向けに書いた」とか「高校生への講義を収録」という位ですから。

この本、最初は単行本でしたが、2010年6月に文庫本として再版されたので、私は2度目の読了になりますが、この本で最も注目したのは、「脳はなにかとやる気になる─モチベーションはどうやって高める?」という章。2つのモチベーションを高める方法が科学的に説明されているのですが、何とも簡単です!それは、「嫌でもやってみちゃうこと」と「褒めること」がモチベーションを高める方法として紹介されています。テニスの世界でも必ず役に立ちますよね。

脳科学に興味ある「テニス界の方々」にはお勧めの池谷氏です。

脚注:[1] 池谷裕二(イケガヤユウジ)
1970(昭和45)年、静岡県藤枝市生れ。’98(平成10)年、東京大学・大学院薬学系研究科で薬学博士号取得。2002年から約2年半のコロンビア大学・客員研究員を経て、東京大学・大学院薬学系研究科・准教授。科学技術振興機構・さきがけ研究員(併任)、東京大学・大学院総合文化研究科・連携准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

フェデラーもウィリアムズ姉妹もテニスの才能なんてない!?

非才非才2久し振りの関西出張。名古屋までの出張は頻繁にあるのですが、どうも最近は関西への出張がありませんでした。新幹線で2時間以上になりますから、結構自分の時間が取れるので、それなりに新幹線の車中は、楽しいのですが。

で、ちょっと立ち寄った本屋で購入したマシュー・サイド著「非才!あなたの子どもを勝者にする成功の科学」(柏書房:2010年05月)非才3を持って新幹線に乗り込んだのですが、これが結構面白く一気に読了!

著者であるマシュー・サイド[1]氏は、イギリスのスポーツジャーナリストで元卓球のイギリスを代表する選手。更には、この本の翻訳を手掛けるのは、英語の翻訳としては私が最も好きな山形浩生(やまがたひろお)[2]氏。

著書の内容は、とてもシンプルで「世界一のアスリートを含めて、生まれながらに持った才能など誰にも無い!練習と経験が全てを決する」という主張です。それを、いろいろな視点で解説していて、時には心理学を駆使して、ある時には脳科学を利用して、事例豊富に説明しています。著者自身もオリンピック経験者ですから、かなり説得力があります。

とても興味深いのは、イギリスの方なので、豊富なテニスの事例が登場しています!「世界 No.1 のロジャー・フェデラーやウィリアムズ姉妹でさえ、生まれながらの才能ではなく、信じられなくらいの練習量の結果」として、詳細を説明しています。

「我が娘には才能がないのかな・・・」なんて感じている御父兄の方にとっては、とっても救われる内容の本ですし、逆に「我が子は才能がある」と信じている御父兄の方には、ショッキングな内容です。何と言っても「才能が将来の可能性をつぶす可能性がある」と主張していますから・・・

脚注:(楽天ブックスの解説より)
[1] サイド,マシュー(Syed,Matthew)
1970年生まれ。英タイムズ紙コラムニスト、英国放送協会(BBC)コメンテーター。2008年に栄誉ある英スポーツジャーナリスト協会(SJA)賞、2009年には英国記者協会賞を受賞。ジャーナリストへの転身前は英国屈指の卓球選手として名を馳せる。英連邦の卓球王者に3度輝き、オリンピックにも2度の出場経験をもつ。オックスフォード大学を主席で卒業

[2] 山形浩生(ヤマガタヒロオ)
1964年生まれ。東京大学工学系研究科都市工学科修士課程修了。マサチューセッツ工科大学不動産センター修士課程修了。米国の小説家ウィリアム・バロウズの紹介者として、数多くの翻訳を手がけてきた。

【追記:2010年07月11日】
上記書籍の最後にある山形氏の解説が面白く、「以下の書籍は、「非才」の中でも参考にされているが、実は「努力」だけではどうにもならない」とも主張されているよ」と訴えています。

内田樹氏がテニス界を救う?

東京ファイティングキッズ・リターン東京ファイティングキッズ・リターンサポート内田樹、平川克美共著「東京ファイティングキッズ・リターン 悪い兄たちが帰ってきた」(文春文庫:東京ファイティングキッズ・リターンサポートを読了。以前、本ブログの投稿記事である「「俺流!テニス論」の由来」でも記述しましたが、内田樹[1]氏は、テニス論を公開する決心させてくれた方です(と言ってもお会いしたことはありません・・・)。ただ、間違いなくあらゆる分野において、影響がある方です。

一方、平川克美[2]氏は、コンサルタントとしてご活躍されている知る人ぞ知る!?有名人です。私も同業(コンサルタント)なのですが、通常は同業者に対しては、ライバル心が芽生えるのですが、平川氏には、なぜか「そうなんだよな~」とか「やっぱりね・・・凄いね!」と感じられる数少ないコンサルタントです。

そうした御二方は、学生時代からの友人で、そうしたお二方の往復書簡(メールでのやり取り)を総括した内容になっています。議論あり、意見あり、冗談あり、と言った内容ですが、その何気ないやり取りの中に、それこそ一般人では気が付かないような内容が含まれています。

私個人として、内田樹氏の書籍の引用をこれからも多用すると思います。本書でいくと、「共同体」に関する部分や「言論の自由」に関することなどは、テニス界にも活用できるし、その他の書籍でも参考になる・・・

ちょっと極端なことを主張すると、「内田樹氏がテニス界を救う」とまで言えるような内容が多々あります。世界ばかりに視野が向いているテニス界に対して、日本の環境で成長し、日本人としてどうやって海外と戦っていくのかを示唆してくれていますから。

脚注:(楽天ブックスの解説より)
[1] 内田樹(ウチダタツル)
1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。東京都立大学大学院博士課程中退。現在神戸女学院大学文学部教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。「私家版・ユダヤ文化論」で第6回小林秀雄賞を受賞。

[2] 平川克美(ヒラカワカツミ)
1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒。77年に渋谷道玄坂にて翻訳会社を設立。99年、アメリカ・サンノゼ市にビジネスサポートを主業務とするBusinessCafe,Inc.を設立。01年にリナックスカフェを設立。その後数社の経営に携わる。06年に声と語りのダウンロードサイト「ラジオデイズ」を企画設立し、取締役兼プロデューサーとなる。

「俺流!テニス論」の由来

街場のアメリカ論街場のアメリカ論サポート内田樹著「街場のアメリカ論」(文春文庫:2010年05月)街場のアメリカ論サポート2を読了。文庫本が出版されたので購入しましたが、以前、単行本が出版されたときに購入して読了していますから、実質2度目の読了ということになります。著者の内田樹氏は、現在、私が最も注目している(というより、影響を受けているといった方が正しいでしょうね!)著名人です。

実は・・・誰も気にしていないとは思いますが、本サイトのブログタイトル「俺流!テニス論」は、以前この本の「まえがき」に感化されたのがきっかけで、タイトルをぱくった経緯があります。だから、ちょっと似ていますよね、「俺流!テニス論」と「街場のアメリカ論」とが。最初は、「街場のテニス論」にしようかな、と考えましたが、それでは芸が無さ過ぎるので、「俺流」とちょっと強い響きにして・・・

これだ、これしかない!と感じた内田氏の「まえがき」は以下の通りです。

私はもともと仏文学者であって(今ではその名乗りもかなり怪しげですが)、アメリカ史にもアメリカ政治にもアメリカ文化にもまったくの門外漢である。非専門家であるがゆえに、どのような法外な仮説を立てて検証しようとも、誰からも「学者としていかがなものか」という隠微(いんび)な(あるいは明確な)圧力をかけられる心配がない(そのような禁制の届かない存在を「素人」というのである)。この立場はアメリカを論じる場合には、単に「気楽」というのを超えて、積極的に有利な立ち位置ではないかと思い至ったのである。(p.17)

更に、「まえがき」には、以下のような文節もあります。

私は本書の中でアメリカの政治、アメリカの文化、アメリカの社会構造を辛辣(しんらつ)に批判するけれども、それは「こんなことを言ってもアメリカ人は歯牙(しが)にもかけないだろう」という「弱者ゆえの気楽さ」がどこかにあることで成立する種類の辛辣さである。(p.28)

上記を自分勝手に「素人だからこそ、積極的にあるテーマを語ることができる場合があり、そうした有利な立場を積極的に利用せよ」と解釈したわけです。極端な話、「素人」ですから、強烈な内容を公開し、それが間違っていたとしても、許されそうだな、と思ったわけです。