「甲子園が割れた日」から学ぶこと:高校生という年齢


甲子園が割れた日甲子園が割れた日1雑誌「おすすめ文庫王国(2010-2011)」に紹介されていた中村計著「甲子園が割れた日 – 松井秀喜5連続敬遠の真実」(新潮文庫:2010年08月)甲子園の割れた日2を読了。2011年、最初の文庫本読了となりました。

本書、タイトル通り、私の年代のおじさん世代で高校野球ファンには、絶対に忘れないであろう「1992年夏、星稜 vs. 明徳義塾戦」でおきた「松井秀喜5連続敬遠」を題材に、関係者に対して徹底取材したノンフィクションです。私は、この試合は、アメリカ滞在中で観てはいませんが、報道番組やテレビ番組で放送していますから記憶しています。著者の中村計氏は、今をときめくスポーツライターだそうで、千葉県船橋市出身。ちょっと息抜きに読んでみようかな・・・と思って購入したのですが、一気に読み進んでしまいました!面白い!!「敬遠」した側、された側とどちらを「正しい」といった結論を導くことなく、そこで何が起きたのか、その後、関係者はどうなっているのか等々、徹底した取材をベースにしていますから、その説得力は素晴らしいものがあります。

さて、本書、高校野球を扱っているため、とても興味深い記憶すべき内容があります。「野球だから・・・」と見過ごすことなく、「高校生」という視点での論点で、記述されています。

高校生は計算できないー。
特に大学や社会人の監督経験がある指導者ほど顕著だが、高校野球の監督はたいていこの壁にぶつかる。体や技術以上に精神の未熟さに悩まされるのだ。

そして、その未熟さを補うために多くの指導者が取ってきた方法が常軌を逸した練習を課し、自分たちはこれだけやったのだからできるはずだと錯覚させることだった。それが近道なのかどうかはわからない。だが、一定の成果を上げてきたことも事実だ。(p.74)

ここ数年、プロフェッショナルの世界(テニスに限らず)では、若年化することが素晴らしいことかのごとく騒ぎたてていますが、本来、高校生という年齢でさえ、上記で記述されているように「精神の未熟さ」が際立っている・・・特に、テニスの世界では、高校テニスや学生テニスへの進路(いわゆる学校テニスですね!)をとることがまるで、「世界で通用しない選手を育成している」かのごとく騒いでいる方々がいらっしゃる。

私個人としては、高校という環境、大学という環境を通過することによって、精神を鍛えてくれ、更には応援者を増やすと信じていますので、もっともっと学校テニスとの共存を検討すべきだと考えているのですが・・・高校は通信制、つまり、実際の高校とは相当違った環境を与えられ、世界を転戦することが「当たり前」であるとされるようなテニスの世界は、やっぱり私からは異常な世界に見える・・・と思っているのですが・・・

合わせて読みたいかも・・・


Twitter でコメントを・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

* Copy This Password *

* Type Or Paste Password Here *