Archive for 2010年09月02日

両サイドダブルハンドの限界!?

以前から、「フォアー、バックの両サイドがダブルハンドの選手って世界で戦えるのかな」との疑問を個人的に持っていました。ダブルハンドということは、両手でストロークしなければならず(当たり前ですが・・・)、シングルハンドよりもそのリーチ(届く範囲)が極端に短くなるはずですから、その分、フットワークでカバーする必要があるはず、なんて自分勝手な考え方を持っていました。

ところが、そうした考え方に同意してくれるようなテニス関係者がいらっしゃって(名前は公開しませんが、結構有名な方です!)、「やっぱり」と考えていたのですが、森田あゆみ選手の試合を観戦して、「両サイドバックハンドもありなのかな・・・」なんて考え直していたのですが。海外のパワーに圧倒されないためにも、両サイドをダブルハンドにしてきちっとリターンする・・・それが必須なのかなと考えたわけです。

しかし、「テニスナビ – Tennis Navi::【速報】森田あゆみ 初戦で全仏女王のスキアボーネに完敗/USオープン女子:USオープン」を読ませて頂いて、やっぱり無理なのかな、と考えたり。

森田は最初の自分のサービスゲームでブレークを許すと、スキアボーネの力強いストロークに防戦一方で僅か29分で第1セットを落とす。第1セットに入ってもスキアボーネの攻撃の手は緩まず、森田はコートを左右に振られ、時折隙を突くネットプレーに翻弄されてしまう。そのまま第2セットを 0-6 で落としゲームセット。奪われたウィナーは28本、試合時間は僅か57分と、今年の全仏女王に圧倒的な力の差を見せつけられた形となってしまった。

上記から、やはり必要なのは力強いストローク、更には、そうしたストロークをベースにネットプレーができないと世界では戦えない・・・どうしても、いろいろなショットバリエーションを駆使しなければいけないのだな、と自分に言い聞かせていたりして・・・

日本テニスを語るため、司馬遼太郎を読むこと!?

日本のテニスにこだわっている私ですが、その前に、まずは「日本とは」に関しての知識をしっかりと身につけないと・・・と考えています(馬鹿かも・・・)。日本を知らずして「日本のテニス」を語れない、なんて変な偏見があるものですから。

それにしてもあまりにも「日本」を知らないな、と感じている今日この頃で、あっちこっちで「日本とは」を知るための書籍を探しています。で、いつものように内田樹氏のブログから。どうやら、司馬遼太郎や吉本隆明は知らなければいけない!?

ある国の文化的作物のうち、「その国固有」のものであるかどうかを判定する基準は「国外に愛好者を持たない」ということではないかと私は思っている。例えば、司馬遼太郎は日本の「国民作家」であり、吉本隆明は日本の「国民思想家」である。ご異論のある方はおられぬであろう。

その司馬遼太郎は英語訳が三点しかない。「最後の将軍」と「韃靼疾風録」と「空海の風景」だけ。「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も「燃えよ剣」も「街道をゆく」も翻訳がないのである。日本人の心性と価値観と美意識をみごとに描いたこれらの文章に非日本人はまったく関心を示さないのである。

吉本隆明が戦後日本思想を「知る」上で必須の文献であることに異論のある人はいないであろう。その吉本隆明の著作は外国語訳が一つもない。「擬制の終焉」も「自立の思想的拠点」も「共同幻想論」も「言語にとって美とは何か」もどれも外国語に訳されていないのである(加藤典洋さんに聴いた話では『共同幻想論』は以前フランス語訳が存在したそうであるが、いまは絶版)。

海外旅行の間に、ふっと「司馬遼太郎が読みたい」とか「藤沢周平が読みたい」とか「吉行淳之介が読みたい」とか「島尾敏雄が読みたい」思うことだってあると思うけれど(ないかな)、現地の本屋にはないのである。

でも、村上春樹はある。たくさん並んでいる。司馬遼太郎と村上春樹はどこが違うのか。
もしかすると、「対抗文化」だけが世界性を持ちうるということなのであろうか。

引用:「内田樹の研究室::ヒップホップと司馬遼太郎と村上春樹」より

実は、司馬遼太郎を私は読んだことがない・・・「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も「燃えよ剣」も「街道をゆく」も読んだことがないのです。どうやら「非日本人」なのかな・・・周囲の人は、「あなたは日本人離れしている・・・」を私を評価するのも解るような気がする・・・

下記、内田樹氏のブログから、上記と似たような内容の投稿記事を引用しておきます。

司馬遼太郎の外国語訳を読むことはきわめて困難である。Amazonで現在入手できる英訳は3点しかない(「最後の将軍」、「韃靻疾風録」、「空海の風景」)。「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」も「世に棲む日々」も「燃えよ剣」も外国語では読めないのである。

意外でしょ。

外国の学者が日本的心性について知りたいと思ったら、司馬遼太郎を読むのが捷径だと私は思うが、その道は閉ざされているわけである(むろん、藤沢周平や池波正太郎も英語訳は存在しない。ついでに言えば、吉行淳之介も島尾敏雄も安岡章太郎も小島信夫も英語では読めない)埴谷雄高も谷川雁も平岡正明も村上一郎も吉本隆明も英訳はない。

この選択的な「不翻訳」は何を意味するのか。とりあえず「日本の50-60代のおじさんたちの胸にキュンと来る本」は外国語に翻訳されにくい、ということは言えるであろう。

引用:「内田樹の研究室::おじさんの胸にキュンと来る」より

やっぱり「竜馬がゆく」位は読んでおかなければ・・・と思い立って現在読書中!これが想像以上に面白くてビックリ・・・これまで読まなかったことをちょっとだけ後悔し始めました・・・